| アラビア語・アラブに関連した情報を日々発信!【arab.jp】 |
ベイルート日記*レバノン ベイルートから幅広い情報をお伝えします。 |
*記事を書かれているさえさんは、無事でいらっしゃいますが、しばらく記事の更新ができない状況です。
下記のWebサイトでは、日本ではなかなか報道されないレバノンの現状が、写真を交えて報告されています。
目を覆いたくなるような写真も多数ございます。予めご理解の上、アクセスしてください。
→→ 「 HALT THE GENOCIDE IN LEBANON !!!! 」レバノンでの虐殺を停止せよ!(英語サイト)
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イスラエルの攻撃地図
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2006年11月24日(金) 昨日ロンドン大学SOASの語学センターでアラビア語レベルチェックを受けました。 1月からまたアラビア語を勉強するためなのですが、テストもいい加減。 おしゃべり15分くらいと、たったの2行文を読まされただけでなんと一番上のクラス。 それでももしかしたらクラスのレベル低く感じるかもしれないわよ、と脅される始末。 SOASでもそんなにレベルが低いのか、とちょっと残念。 (先日語学学校のアラビア語クラスを見に行ったら本当にレベルが低くて困っていたらSOASを勧められたのです。) 1月にクラスに出てみてどんな様子なのか確かめます。 私の先生はイラク人だそうで、文学なども扱うようです。 お値段は235ポンドです。(1学期10回、一回2時間) その他 ( 2006 年11 月24 日 23:27 ) |
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2006年10月9日(月) レバノンの戦争は一応の終わりを迎え(とは言ってもいつまた始まるか分からないとの憶測も飛んでいます。)、私は10月からロンドンで勉強を開始しました。 中東で仕事をしていくためには中東のことを知っているだけではあまり役に立たないのです。なのでもう一度勉強し直してまた中東に向かいます。 8月半ば、停戦になってから3日後にベイルートに一時的に帰りました。 荷物をロンドンに送る手はずを整えたり、職場の荷物を片付けたり、部屋を引き払ったり。銀行や電話も止めなくてはならなかったので1週間くらいはかかりました。 初めのうちは停電がひどく、4時間おきに電気が来たり止まったり。 夏だったので蒸した暑い夜にはベランダで友人と寝始め、電気が来たとたん 「さあ、中に入ろう」 といっせいに中に入り冷房をつけて寝たものでした。 こんな生活なんてなかなかできないですよね。 いい経験になりました。 ベイルートに向かう道では爆撃で壊された橋や穴の開いた道路を横目にタクシーで進んでいきました。心が沈む道のりです。 帰りは後ろ髪を引かれつつもアンマンに戻り、そして日本へ帰ったのでした。 日本での3週間はあまりに恵まれた不思議な体験となりました。 なんの不自由もない社会、友人と家族に囲まれた生活。 あっと言う間に過ぎ去りました。 現在はロンドンでアラビア語をまた始めようとしています。 明日がはじめてのクラス見学になるので、レベルが合うといいなぁ。と思います。 それではご心配くださったみなさん、ありがとうございました。 ベイルート日記はこれで終わります。 その他 ( 2006 年10 月10 日 07:17 ) |
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2006年6月5日(月) 5月の終わりから6月3日まで休暇でエジプトに行ってまいりました。 一緒にいった友人が初エジプトでしたのでピラミッドにも4回目くらいの訪問。 お決まりのピラミッドの前でのポーズをして写真撮影。 そして馬にも乗ったのですが、最後に足をけられて散々。 それでも楽しかったー。 でもメインはシャルムでのダイビング。 いやー、本当にラース・ムハンマドはきれいでした。 4年前にオープンウォーターのライセンスを取ったときのインストラクターに再会。 ボートダイビングとビーチダイビング両方して本当に満足。 6本しかもぐらなかったけど、でも紅海でのダイビングは最高です。 協力隊時代の友達とホルガダでも待ち合わせ。 ゆっくりとビーチでのーんびり。 ちょっとハラームだけどワインをビーチで飲んでしまいました。 ま、リゾートなんで誰も気にしていなかったです。 あー、休暇もそしてすぐに終わってしまいました。 多分ホルガダにはまたもぐりに行きます。7月終わりか8月はじめでしょうか。 今から計画を練らないとです。 ピラミッド / ホルガダのビーチ / その他 ( 2006 年06 月05 日 18:08 ) |
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2006年4月4日(火) 3月24日から31日までイエメン出張に行ってきました。 半島デビューに少しだけドキドキしました。 飛行機が異常に揺れて一瞬死ぬかと思ったけど無事に着きました。 (厚い雲に覆われていたサナア上空だったのです。) はじめは会議に出ることだけが目的の旅立ったので町を見れるか心配しました。 幸い上司が「せっかく初めてサナアに来たんだから見に行ってきなさい」 と後押ししてくれました。 おかげさまで「ダール・ハジャル」と「オールド・シティ」は見に行けました。 イエメンは蜂蜜とカート(ドラッグだ、という人とただのカフェインのようなものだ、 という人がいます)が有名で、子供も大人もみんな口にカートを含んでいました。 その模様は本当に不思議で、イエメンでしか見れないんだろうな、と思います。 (写真参照) 蜂蜜はキロ単位で50ドル以上するものもあり、こだわりを感じさせられました。 サナアの建築はとても特徴があります。 キタムーのカメラもよく撮っていたけれど、どの建物も同じ窓の建築なのです。 (2枚目の写真参照) オールドシティはユネスコのプロジェクトできれいになったようです。 もとの建築を元に町を同じ建築様式で統一した模様です。 いくらかかったのかは定かではありません。 私たちの会議はミューベンピックホテルであったのでそこに泊まったのですが、 サービスがすばらしい。アラブ諸国では5つ星ホテルでもサービスが悪いのに。 ミューベンピックはさすがでした。 (従業員がアラブ人ばかりではない、っていうのがポイントなのかも) ま、こうして1週間のハードスケジュール出張が終わり、ベイルートに帰還。 いまだに疲れが取れずにいるのでした。 売り子もカートを口に含んでいる / 素敵な町並み / その他 ( 2006 年04 月04 日 21:10 ) |
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2005年10月24日(月) 先週16−18日にセラーご夫妻にお会いしました。とっても元気そうでなにより。 日焼けが結構すごく、日本人の色白さはどこへ? でもでも本当に仲良くて、見ている私たちを幸せにしてくれます。 仕事があったので一緒には観光はできませんでしたが、一緒に食べたり飲んだり、 楽しく過ごさせていただきました。 ベイルートでは初めての本格的雨が夫妻が家に来たときに降りました。 土砂降りとまではいいませんが、彼らはずぶぬれになっていました。 そして火曜日の朝に彼らはまた旅立っていったのでした。 私も同じ日の夜中、というか次の日の早朝、ジュネーブに旅立ちました。 久しぶりのヨーロッパ。そして初めてのスイス。 非常に物価が高い。ドルや円で計算していると頭がおかしくなります。 ご飯を外で食べれば確実に2000円にはなります。 普段中東で生活している私にとっては本当につらい旅でした。 が、びっくりすることにアラビア語が何気に通じます。 私のつたないフランス語が通じなく、相手が英語もわからない、そんなときには 一言「アラビー?」なんて聞いたら移民だったりすることが何度も。 そういう意味では発見もある、なかなか興味深いものでした。 (でも次行くのは○○年後なんだろうな、と思います)。 その他 ( 2005 年10 月24 日 21:40 ) |
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2005年8月30日(火) 本当は明日から仕事のはず。それが昨日から戻ってきていました。 日曜日の夜友人宅にお邪魔してお喋りをしていると突然上司から電話がありました。 上司:「ベイルートにいるの?」 私:「いいえ、まだアンマンです」 上司:「明日2時に大切な会議があるからラーゼムできなさい」 私:「明日はダマスカスに行ってそれからベイルートに戻るんですが…」 上司:「とっても大切なミーティングだから来るように、じゃ」 ってな感じで取り付く暇もなくベイルート帰りが決定したのでした。 その“大切な”ミーティングに出てみると、たいしたことのないものでした。 あー損した。 ヨルダン大学アラビア語講座については次回お話します。 ちょうどアカバにいたときのミサイル騒ぎとかも。 ヨルダンでは日本語が打てなかったのでアンマン通信できませんでした。 あしからず。 その他 ( 2005 年08 月30 日 15:55 ) |
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2005年7月28日(木) 明日は夏休み前の仕事最後の日です。 今週はどうも集中力が持たず、仕事するのに本当に苦労しています。 集中力を必要とする統計やリファレンスの統一などが今週のメインの仕事なので大変。 それをもとにパンフレットなんか作ってるからさらに頭痛いです。 なんでそんなパンフ? 識字率向上のプログラムを実施するにはお金が要ります。 国連機関は何気にお金もないらしく、ファンドレイジングが必要なのです。 そんな訳でデータとにらめっこしながらいろいろ書いている次第です。 本当に明日までに終わるのかしら? かなり不安です。 早くアラビア語の勉強に集中したいです。 その他 ( 2005 年07 月28 日 18:46 ) |
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2005年7月27日(水) しばらく仕事に忙殺されておりました。 7月31日からヨルダン大学で夏期アラビア語講座を受講することにしました。 本当は2ヶ月のコースなのですが、さすがに休みをそこまで取れないので1ヶ月のみ。 先日出張でアンマンに行ったときに支払いも済ませてきました。 久しぶりの学生生活です。 ちなみにお値段は2ヶ月で500JD。ドルに換算すると715ドルくらいです。 これには週末に催される小旅行代金も含まれているようです。 レベルは5つあるようで、レベル1はアルファベットからはじめているようです。 レベル3を覗いたのですが、ターマルブータについて話していたので、たいして そのレベルは高くないようでした。 初日にはきちんとレベルチェックテストを受けて、できたらレベル4か5に入りたい! コースには外国人がたくさんいました。アジア人の中では韓国人が一番多いようです。 始まったら「アンマン通信」としてお届けできたらと思っています。 全てはネット環境次第です。 その他 ( 2005 年07 月27 日 16:36 ) |
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2005年7月4日(月) 先日お話したデンマーク人の彼女、実際にあの案をレバノン人に話したのです。 (私にはとっても勇気がない。) 友人:「レバノン人とイスラエル人はとっても似ているから・・・・」 レバノン人:「そんなことないわ。レバノン人はシリア人に近いのよ!」 これを友達から聞いたとき本当に笑いました。友人も笑い転げていました。 理由その1 あれだけシリア軍を嫌ってつい最近シリア兵に出て行っていただいたばかり。 理由その2 レバノン人はよく自分たちをアラブ人だと認めないのにシリア人をちゃんとアラブ人だと思っている 理由その3 結局シリア人とレバノン人はとっても似ているんだそうです。 ま、レバノン人の言うことはコロコロ変わるようだという結論のようです。 政治家の意見の変わるのが早いのも納得いきます。 そうそう、首相はセニョーラというもと蔵相(ハリーリ父のもとで)がなりました。 彼は増税で有名なようです。 その他 ( 2005 年07 月04 日 16:06 ) |
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2005年6月21日(火) 昨日オフィスでお祝いの昼食会が開かれました。 スンニ派の数人のスタッフがサアド・ハリーリの勝利を祝っておごってくれたのです。 お祝いにはカトリックもマロン派も、シーア派もアルメニア正教徒もいました。 が、だれもお祝いはしていませんでした。 楽しく食事はしたものの別におめでとうでもなんでもない、ただの昼食会。 ま、そんなもんですかね。 選挙はサアド・ハリーリの反政府(反シリア)グループが128の議席のうち72議席を獲得した模様です。 昨日の記者会見では、首相職は話し合いの後決まる;経済政策・行政改革・法律改正などは「父がはじめた政策にしたがって」やっていくとサアドは言っていました。 15年ぶりに帰国したミシェル・アウンの自由愛国運動は第三ラウンドで勝利したものの最終ラウンドでサアドのグループに圧倒されました。 アウンはサアドやワリード・ジュンブラットと手を組もうとしていたのですが失敗し、結局親シリアの政党と組んで選挙に挑みました。 アウンの売りネタは反シリアなのに皮肉にも親シリア政党と協力し選挙に出たのです。 いずれにしてもサアドには政治家としての経験はありません。 暗殺されたラフィーク・ハリーリの政策を継ぐにしてもどんな政策があったのか。 きっとジュンブラットなどが考えた政策をハリーリの遺言のように発表するに決まっています。 1週間以内に政策を発表するとサアドは言っていました。 全てはそれからです。 その他 ( 2005 年06 月21 日 15:12 ) |
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2005年5月23日 先週友人とともにパレスチナの「ネクバ(災難)」の写真展を見に行きました。 オスマントルコの支配下から始まってイギリス占領下、そしてディアスポラ。 パレスチナの周りに散らばったパレスチナ人キャンプの様子が写されていました。 その会場にはレバノン人もいて、パレスチナ人会場責任者が説明してました。 レバノン人女性は「なんでパレスチナ人はパレスチナに帰らないの?」とか、 「パレスチナ人はイスラエルに入れないの?」なんてアホな質問ばかりしていました。 そのときつい最近起きた出来事を思い出したのでした。 国連のある機関で働いている女性とごはんを食べたときにベイルートのインフラに ついて話がでました。本当にショックを受けた会話でした。 レバノン人: 「ベイルートはほとんど停電もないし、本当に進んだ町だわ。ベイルートは 楽しくて仕方がないでしょ?」 私: 「ベイルートは好きです。でもシャティーラには電気もないし、 発電機を使うには使用料を払うんですよ」 レバノン人: 「シャティーラってキャンプでしょ?」 私: 「そう、パレスチナ人のキャンプ」 レバノン人: 「あ、たかがパレスチナ人キャンプじゃない」 国連で働いているような人がたかがパレスチナキャンプだから電気がなくても当たり前 のような発言を行う。信じられませんでした。 ここでは多くの人が全ての悪い歴史はパレスチナ人に起因していると思っています。 確かに泥沼の戦争がいまだ暗くのしかかってきているのはわかります。 でもパレスチナ人を責めれば問題が片付くわけではありません。 自分の非を認めず他人ばかりを責めたのでは何も生まれません。 選挙も近いですが何か変わっていくのでしょうか。 ハリーリの息子サアドが未来党のトップで選挙に出ます。 パリから帰国した(亡命から)アウンも張り切っています。 その他 ( 2005 年05 月23 日 21:59 ) |
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2005年5月20日 先日仕事でダマスカスに行きました。 教育省第二ビルでの会合でしたが、普通なら誰も気づかないところにあります。 何度も人に道を聞いてやっとたどり着いたのでした。 帰りにシュワルマの店に立ち寄るとそこには見慣れたコーラがありました。 このまえはまだコカコーラが存在しない、と報告したのですが、ありました。 という報告まで。 その他 ( 2005 年05 月20 日 21:34 ) |
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2005年1月29日 土曜日 晴れ。 中東関係を勉強したことのある人だったらたいていの人は 聞いたことのあるシャティーラ。 あのサブラ・シャティーラに行ってきました。 サブラとシャティーラがセットでキャンプなのかと思っていたら、 シャティーラのみがキャンプなのだそうです。(新発見!) おまけに、ベイルートの中にあるので職場からも5分程度。 こんなに近くにひどい生活をしている人たちが住んでいるなんて。 写真を撮りたかったのですがカメラを取り出す気にもなれませんでした。 セルビスを降りて狭い路地を入っていくと舗装もろくにされていない道が 続いています。 さらに2人がやっと通れるぐらいの道がぐにゃぐにゃと続きます。 どこを歩いているのかもわからず、NGO職員に連れて行かれるままに歩きました。 建物はまだまだ鮮明に戦争の後が残っています。 銃弾のあと、壊されたままのモスク、その中に犠牲になった人の写真が 飾ってあります。 キャンプ内には故アラファトさんのポスターやエルサレムの絵が壁にかかれています。 細い道にはまるで日が当たらないのに洗濯物らしいものが干してあります。 (でも洗ってあるのかもわからないくらい汚い色をしていました。) 水道パイプが道路にむき出しになっていて、壊れているところから水が流れっぱなし。 舗装されていない道路がさらに歩きにくく水浸しになっていました。 電気はつい最近まで4ヶ月間止まっていたそうです。 ジェネレーターを持っている人にお金をはらってやっと電気を得ていたそうです。 NGOのスタッフによれば、失業率は40%を超え、パレスチナ人はキャンプ以外 では働けないという法律があるそうです。 彼らはレバノン国籍を持たず、パレスチナという国もまだ存在しない、 本当に国籍のない人たちなんです。 レバノン人は、ただでさえ失業率が高いのにパレスチナ人にまで 職をあげたらレバノン人が追い出されてしまうのを心配しています。 戦争が起こった原因がパレスチナ人だと考えているので余計にパレスチナ人 のことは好きでありません。 パレスチナ人はパレスチナに、シリア人はシリアに帰るべきだといっています。 今もパレスチナ人に国籍を認めないのはずっとレバノンに居座られるのを 嫌がっているのと同時に、国際社会に訴えて早くパレスチナ人をパレスチナに 帰したいんだそうです。 今週土曜日からキャンプの幼稚園でボランティア始めます。 慣れてきたら写真も取る機会もあるでしょう。 その他 ( 2005 年01 月31 日 18:29 ) |
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家探しも終盤にかかり、今日ようやく契約になりそうです。 町を歩き回り、人に聞きまくり、ときには冷たくあしらわれ、 不動産屋を紹介されたり、手数料が家賃と同じもすると 聞いたり(でも払いませんよ!コーヒー飲んで楽しくお話して さようならです。)、結構疲れました。 でも借りるフラットも実はテレビと洗濯機がない。 ランドリーを使っていいと提案を受けているのでしばらくは それで我慢かしら? 今ベイルートは本当に物価が高いのでリーズナブルなフラットが なかなかないのです。 借りるのは1ベッドルーム、1リビング、小さいキッチン、バスタブ なしのシャワーとトイレが一緒の部屋のハンマーム。そしてテラスと ちょっとした入り口にもうひとつテラスみたいなスペースがあるとこ。 これで月350ドルなり。家具付ね。 さあ、いよいよ最後の戦いなり。 いってきます。 ここではあまりラマダンを感じません。 かなしー。でもすむところはモスクのすぐそば。 ちゃんとアザーン聞いて断食しようかと思ってます。 職場もムスリムの人結構多いし。 ま、試してみます。 その他 ( 2004 年10 月15 日 00:13 ) |
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